八ヶ岳キリスト教会

八ヶ岳キリスト教会は、山梨県北杜市高根町にある緑豊かな大自然と、美しい八ヶ岳や南アルプスに囲まれた、小さいけれど暖かいプロテスタントのキリスト教会です。

【教会の住所・電話】


〒408-0012
  山梨県北杜市高根町箕輪3219-2

  教会電話:080-3450-8759

雑感

ブログ3回目

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第3回目のブログです。

もし、お手すきの時間がありましたら、本ブログを読み、楽しんだり癒やされたりして頂けたなら、筆者としては大変うれしく思います。


さて、2018年5月6日の主日礼拝についてお話しますね。

まず、聖書箇所は、「新約聖書 ヨハネの手紙第一2章1~11章」です。

 

<聖書箇所:ヨハネの手紙第一>

2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。

2:2 この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。

2:3 もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。

2:4 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。

2:5 しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。

2:6 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

2:7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです。

2:8 しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。なぜなら、やみが消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。

2:9 光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。

2:10 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。

2:11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。


<説教の概要>

  • もし、やむを得ず罪を犯してしまっても、イエス様が弁護をしてくださるので、神様は罪を赦してくださいます。
  • 罪を犯してしまった時は、神様に心から「ごめんなさい」と謝ることが大切で、これにより神様はあなたに力を与えて下さいます。
  • 「神様を知っている」とは、神様の命令を守っている者で、常に神様に目を向け、祈ることを忘れません。
  • 神様を知っていれば祝福が来ます!
  • 「隣人をあなた自身のように愛しなさい」とありますが、時に、愛が通じ会えないような場合もあります。神様はこの様な試練を通じ、愛し合うことを訓練してくださいます。
  • 赦し合い、愛し合うことが出来る教会は素晴らしい。

 


<神様が僕に与えってくださった祝福:プロフェッショナル篇>

神様の祝福で一番わかり易いものは、直球的な祝福で、経済の祝福や病の癒やしなど、一発で幸福に結びつく祝福ですよね。

しかし、僕に与えられた祝福は、この世的に分かりづらい祝福です。

有名な「ある兵士の祈り」というのがありますが、僕の祝福はあんな感じです。

曰く、


大きなことを成し遂げるために、 
力を与えてほしいと神に求めたのに、 
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。 

より偉大なことが出来るようにと、健康を求めたのに、 
より良きことができるようにと、病弱を与えられた。 

幸せになろうとして、富を求めたのに、 
賢明であるようにと、貧困を授かった。 

世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、 
得意にならないようにと、失敗を授かった。 

人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、 
むしろ人生を味わうようにと、シンプルな生活を与えられた。 

求めたものは何一つとして与えられなかったが、 
願いはすべて聞き届けられていた。 

私はあらゆる人の中で、 
もっとも豊かに祝福されていたのだ。 

 

まさにコレです。


僕はうつ病に罹患している状態でクリスチャンになりました。

所謂、苦しいときの神頼みで、教会に通い始めました。

ちなみに、発病から現在までの状況は次のとおりです。


<闘病歴など>
・ 2004年にうつ病を発病

・ 2007年に4年間付き合ってきた彼女に振られた

・ 2009年4月に受洗

・ 2009年には一旦症状が安定し、職場復帰 

・ 2010年にうつ病が再燃 、そして糖尿病となる(Hba1c=14%)

・ 2011年に職場復帰の訓練のため、クリニックの「リワークプログラム」に参加 

・ 2012年7月に職場復帰 
・ 2012年11月にうつ病が再燃 
・ 2012年12月に仕事の継続が困難となり、19年間勤めてきた給料の良い正社員の仕事をクビ 

・ 2013年4月に公園の管理人の仕事を見つけ就職 

・ 2014年1月に住宅ローンが払えずマイホームを売却し、公営団地に引っ越すと同時に、カードーローンが支払えないので、自己破産手続きを開始

・ 2014年7月に自己破産処理完了。これで僕は立派な自己破産者となりました

・ 2014年8月に一般就労を諦め福祉就労の「就労継続支援A型事業所」に通所開始 

・ 2015年9月にうつ病が悪化し、「就労継続支援A型事業所」をクビ
・ 2015年10月から、より仕事の負担が軽い「就労継続支援B型事業所」に通所開始 

・ 2016年2月からうつ病が悪化し、同年4月に「就労継続支援B型事業所」をクビ 
・ 2016年4月からうつ病の治療に専念するため、通院している病院のデイケアでリハビリをしています。 
・ 2016年年末頃から社会復帰のリハビリとして記事ライティングの在宅ワークを始めました。 

・ 2018年現在も同じ状況です


コレは僕が某SNSで自己紹介欄に記載している内容を少し加工したものです。

 

見てのとおり、

うつ病発病→正社員の仕事をクビ→貧困化→マイホームを手放す→自己破産→その後は仕事クビの連続

と、一見すると不幸の連続のように見えますよね。

 

でも、コレ、実は祝福の連続なんですよ。

もちろん、祈って求めたもの、例えば、病の癒やし・経済の安定・仕事への復帰などは全く叶えられませんでした。

しかし、やはり、祝福の連続で、僕は神様に日々感謝しています。

 

それは、まず、貧乏だけど生活する上で必要なものは全て与えられています。

そして、マイホームを手放したり、自己破産を経験することができ、人生の深さを感じることができました。

仕事を何度もクビになり、「僕は自分の力では何も出来ない」言い換えれば、「神様に委ねることの大切さ」を学びました。

現在、障害者年金を受給しているため、定職につかず、社会復帰に向けてデイケアでリハビリを行っていますが、働かない時間を頂きました。

僕は中学生・高校生・社会人・大学生・社会人と、14才からずーっと働いてきました。

人生という長いスパンを考えると、無職の今は、まさに中学時代から馬車馬のように働いてきた自分の総労働時間の帳尻合わせを行っているように感じます。

14年にも及ぶ火の試練を乗り越えての平安な無職暮らし。

この生活を送るにあたり、神様に日々感謝をしています。

まあ、とにかく、悩みもなく平安な日々です。

 

「ある兵士の祈り」のごとく、

求めたものは何一つとして与えられなかったが、 
願いはすべて聞き届けられていた。 
私はあらゆる人の中で、 
もっとも豊かに祝福されていたのだ。 

と僕も感じています。

本当に神様に感謝する日々を送っています。


10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。

10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。(ローマ10章9~13節)


 

長文すみませんでした。

読んでくれてありがとうございます。

 

 

2018年5月6日

大盛りうさぎ


おまけ

僕は、ヒップ・ホップが好きなので、この名曲のヒップ・ホップバージョンもなかなか気に入っています。

(´∀`)

二回目のブログです。

 

 

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第二回目のブログです。

現在2018年5月3日(水)です。

礼拝からかなり時間が経過してしまいましたが、もし、お手すきの時間がありましたら、本ブログを読み、楽しんだり癒やされたりして頂けたなら、筆者としては大変うれしく思います。


さて、2018年4月29日の主日礼拝についてお話しますね。

まず、聖書箇所は、「旧約聖書 詩編103篇1~5節と、105篇1~4節」です。

 

<聖書箇所・103篇>

103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

 

<聖書箇所・105篇>

105:1 主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。

105:2 主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。

105:3 主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。

105:4 主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。

 

次に、説教の概要は次のとおりです。

<説教内容>

・ 祈りは神様とのホットラインです。

・ 神様は私達の祈りを決して忘れません。

・ 日曜学校で学んだ子供たちも、神様は決して忘れません。

・ 私達はみんな罪人ですが、イエス様の血によって救ってくださいます。

・ イエス様のくださる平安は、世の与えるものとは違います。

・ 神様は祈りをきかれていて、祝福を与えてくださいます。

・ 神様への祈りは150%叶えてくださいます。

・ 神様がしてくださった良い事を思い起こしてみましょう。

・ あなたが、何気なく教会へ来たと思っていても、実は神様の導きによって教会に来ているのです。

・ 神様は、私達を愛していてくださいます。

・ 私達を愛してくださっている神様に、心から祈りましょう。

 


<罪人の僕>

こんな罪を犯しました。

いや、正確には、人を赦したことあったのです。

ノンクリスチャン時代ですが、2回ほどしっかりと赦しました…

ただ、その赦し方に罪が感じられて仕方がありません。

 

まず一回目。

僕を小学生の頃からイジメまくっていたクソッタレ達が居ました。

教室内で、この僕を集団で殴る蹴るって感じで、これが6年間毎日続いていました。

何が辛いって、この無様で屈辱的な姿を、僕が想っている女子に見られることが一番つらかったですね。

よって、恨みも激しく大きい!

 

で、中学3年のとき、ある憎きいじめっ子が、僕と同じ高校を受験しました。

で、受験の結果、僕は合格し、ヤツは落ちました。

そして、ヤツはクラス担任に頼み込んで、ショボいFラン高校に裏口入学していきました。

 

僕は、最高に幸せな気分になり、腹の底から大笑いしました。

このことにより、僕はヤツを赦しました。

 

で、2回めは、もっとスケールが大きい赦しです。

これは、僕が35才ぐらいのことでした。

小学校時代のイジメにより、恨み続けてきたクソの家が火事になりました。

その家の燃えっぷりがスゴイく、炎だけではなく、ガスボンベにでも引火したのか、時々小爆発が起こっていました。

僕はこれを見て、腹筋崩壊して呼吸困難で死ぬほどに笑い転げました。

のみならず、クソの家で小爆発が起こるたびに、痛い腹筋を駆使して、「たまや~!」と叫んでいました。

この喜びは、独り占めするのがもったいなくて、沖縄で働いているいじめられっ子仲間の幼馴染に電話して、2人で大笑いしました。

 

沖縄君「火事ってマジ?」

僕「マジだ!今燃えてる!爆発も起こってるぞ!」

沖縄君「今夜は美味い酒が飲めそうだな!」

僕「ああ、最高だ!爆発するたびに「たまや~!」って叫んじゃったよ!」

沖縄君「おお!イイじゃん!「たまや~!」」

 

こんなゲスな会話をお笹馴染みとして、僕は「火事の君」に対する恨みは全くなくなり、赦していました。

 

「不合格の君」にも「火事の君」にも不幸が訪れたわけですが、彼らの不幸により優越感を得て、意味はないのですが「俺は奴らを超えた」という感覚を持ちました。

僕は自分の手による復讐など全くしていませんが、大喜びして笑い倒しました。

この部分って罪な感じがあります。

この様な敵が自爆した場合、笑い倒すよりも、ヤツに寄り添い慰めることが神様の御心なのでしょうが、肉とは弱いものですね。

 

さて、しっかり悔い改めて行こうかなぁ。

 

こんな罪人でも教会に通っています。

イエスさまのおっしゃるに「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。・・・わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」だそうです。(マタイ9:12-13)

罪を持っている人ほど、神様は教会に招いてくださるんですね。

 

長文失礼しました。

2018年5月3日

大盛りうさぎ

2018年度、教会ブログ開始

今日から2018年度の協会ブログを開始します。

ブログの内容は、主日礼拝での説教の概要と、日常生活での筆者が犯した罪とその悔い改めについて書こうと思っています。

 

もし、お手すきの時間がありましたら、本ブログを読み、楽しんだり癒やされたりして頂けたなら、筆者としては大変うれしく思います。


さて、2008年4月22日の主日礼拝についてお話しますね。

まず、聖書箇所は、「新約聖書 コロサイ人への手紙 1章1節~14節」です。

 

<聖書箇所>

1:1 神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、

1:2 コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。どうか、私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

1:3 私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。

1:4 それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。

1:5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。

1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。

1:7 これはあなたがたが私たちと同じしもべである愛するエパフラスから学んだとおりのものです。彼は私たちに代わって仕えている忠実な、キリストの仕え人であって、

1:8 私たちに、御霊によるあなたがたの愛を知らせてくれました。

1:9 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。

1:10 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。

1:11 また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、

1:12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。

1:13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。

1:14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。


次に、説教の概要は次のとおりです。

 

<説教内容>

・ 神から与えられる「あらゆる霊的な知恵と理解力」は、人間的な努力や行いによるのではなく、神様からの一方的な恵みです。

・ 恵みとは、労働などにより支払われる「対価」ではなく、この「対価」より遥かに価値の高いものを与えてくださること。これが恵みです。

・ 試練・困難も恵みです。しかし、恵みの成果を実感出来るのには、時間がかかります。

・ 本当の試練を知らなければ、神様の愛が分かることができません。

・ クリスチャンがイエスさまに信じて従っていくとき、必ずその実によって見ることができます。

・ 祈っていきましょう!祈りは最高の奉仕です。


 

 

<罪人な僕>

こんな罪を犯した。

 

自分は48才男独身なんだけど、アニオタで、時々こんなのことを想像して萌えてしまう。

曰く「なんか底抜けに明るくて耳と尻尾があってビキニ・アーマー着ている美少女が、突然僕の部屋のふすま開けて「さあ、あたし達の冒険はこれからよっ!」とか言ってくれないかな」と妄想してしまうのです。

僕とビキニ・アーマー美少女との冒険!行きたいなぁ!

でも、これはきっと罪だ。

この耳と尻尾があるビキニ・アーマー美少女は99%魔導属性がある。

すなわち魔道士だ。

で、魔道士は罪。バラムへの道だ。

クリスチャンとして、そんなモンに萌えちゃってはいけないですよね。

さあ、今日も悔い改めるかぁ。

 

p.s.「こんな罪を犯した」は、夏目漱石の「夢十夜」からパクりました。^^;

 

 

2018年4月23日 大盛りうさぎ